エッセイ

エッセイ

単純です。その4

「単純です」というシリーズ中で耳触りの悪いことばかり書いてきましたが、それらはすべてこれからお話する「神様が用意された救い」を伝えるためにどうしても必要なことでした。自分自身には生まれながの罪があること。そして罪に対しては、当然さばきがあること。この二つのことがわからないと、どうして救いが必要なのか,分からないからです。  
聖書はさばきだけを伝えているのではなく、さばきからの救いを伝えています。全ての人が例外なく救いが必要です。でも神様は正しい方ですから罪をさばかずに赦すことはなさいません。するとどうなりますか?神様は罪を正しくさばくお方であるなら、誰も罪のさばきから逃れられないではないか、と思われるでしょう。確かにそうです。そのため旧約聖書の中には「罪のためのいけにえ」が何度も出てきます。これは牛や羊などが人の犯した罪の代わりにほふられるいけにえのことです。このいけにえの動物が、人の代わりに罪のさばきを受けることによってその人の罪が赦されました。でも動物が人間の代わりになるのですから、その効力には限りがありました。そのため神様は、ご自分の愛するひとり子のイエス・キリストに私たちの罪を負わせたのです。そして十字架の上でイエス・キリストは身代わりとなって、恐ろしい罪のさばきを代わりに受けてくださったのです。神の子であるイエス様が、私たちの身代わりとなって死なれたのです。これこそが神様があなたを愛するが故になされた救いの方法です。そしてキリストは、3日目によみがえりました。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」ヨハネⅠ 4章9節
ただみなさん、真剣に考えてほしいのです。神様は罪からくる恐ろしいさばきからの救いを用意されましたが、それを受け取るかどうかは、あなた自身にかかっています。いくら用意されていても受け取らなければ無意味です。受け取るというのは、イエス・キリストの身代わりの十字架を自分のためであったと信じることです。もしこのことを素直に信じるなら、あなたは救われます。
このシリーズを4回に分けて福音の中身をお伝えしました。本当の神様が存在します。人はみな罪を持っています。罪には必ずさばきがあります。そして神様はあなたを救うためにご自身のひとり子を代わりにさばかれました。身代わりとなってイエス様がさばきを受けてくださったので、それを信じる者には救いがあるのです。どうかこの救いを受け取る方となってください。