エッセイ

エッセイ

単純です。その2

先回に引き続き、みなさんに伝えようとしていることをポイントを絞ってお話させていただきます。ポイントは次の 4つです。

1.本当の神様が存在するということ。
2.人間に生まれもった罪があるということ。
3.その罪に応じたさばきが死後にあるということ。
4.そのさばきに対して神様は救いを用意しているということ。

1については、先回お伝えしましたが、この度は、 2の人間には生まれもった罪があるということについてお話しいたします。

「罪」ということばは、大変耳ざわりの悪い言葉です。聖書の中に多く出てくる言葉です。それだけ重要なのです。罪と聞くと何を連想されますか?ひどい悪や犯罪を思い浮かべる方が多いと思います。自分とは関係のない言葉のように考える方もいるでしょうし、日常生活の中でこの言葉はあまり使われることはありません。
 私たちは「罪」と聞くと、犯罪と結びつけて考えがちですが、聖書が皆さんに語っている罪というのは、何も犯罪に限ったものではありません。
実際に行ってしまう行動、口から出る悪い言葉だけではなく、表面には出てこない心の中に生じる悪い考えも罪です。ここまで言いますと、罪のない人なんていないんじゃないか?と思われるでしょう。しかし聖書には「義人はいない、ひとりもいない」と書かれていて、神様の目に正しい人は一人もいないのです。
私たちは誰しも赤ちゃんの時がありました。愛らしく純粋です。赤ちゃんは清いもののように思いますが、聖書にはそう書かれていません。赤ちゃんは誰にも教わらずに悪いことを覚え、心身の成長とともにその性質は表面に現れてきます。そしていつしか大人になり、今の自分へとなっていきます。子供のころと比べて今の自分は純粋ですか?もしそうでないとしたらそれは世の中が悪いからでしょうか?それも一理あるかもしれませんが、私たちには生まれもった罪の性質があるのです。私たちは生まれもった罪の問題に対して対処のすべを持っていませんが、罪から来るさばきは確実に近づいています。
しかし聖書にはこう書かれています。「暗闇の中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に光が上った。」罪と聞くと暗い思いになりますが、罪があることを自覚するところから救いは始まります。それは大切な一歩です。生まれもった問題をあきらめる必要など決してありません。なぜならイエス・キリストは、あなたの罪の身代わりに十字架で死なれた救い主であり、私たちの希望の光であるからです。