エッセイ

エッセイ

この先の希望

今まで雨が降っていたのに、トンネルを抜けると青空が広がっていた、という経験をしたことはないですか。峠にある長いトンネルの場合、このようなことはたまにあります。
昨年から一年以上、コロナの影響を受け、いろんな意味で今はトンネルの中にいるようなものかもしれませ。「明けない夜はない」 The night is long that never finds the day.
シェイクスピアのマクベスの中の名言です。
どんなに今が暗かろうとも、必ず夜は明けると信じて、希望をもって前に進んでいきたいものです。
トンネルを進んでいけば、必ず出口がある。どんなに暗い夜でも必ず夜が明ける。人生の終わりに必ずあるものは、だれにも避けることのできない死があります。
長い人生を送ったのちに、夜明けのような光が待っているのではなく、暗い死が待っているというのは、とても悲しいことです。そのため多くの人は、最後の時を迎える前に自分のやりたいことをして楽しもうとします。しかし、聖書の中でイエス・キリストはこう言っています。
 
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」 ヨハネによる福音書 7章37-38節
 
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」 ヨハネによる福音書11章25節
 
聖書を読んだことのない人でも、死んだ先には天国があると思っているはずです。神様は、すべての生き物の中で、人間にだけ永遠について考える力を与えてくださいました。ですから、人間だけが死後について考えるのです。死後にはふたつの永遠の世界があります。
天国に入るのはどういう人でしょうか。良い人でしょうか。あなたはどちらに行かれると思いますか。
良いことをすれば天国に行けると誰もが思っていますが、残念なことにそうではありません。わたしたちの心の中には、罪があります。それは、犯罪行為のことだけをさすのでは
なく、心の中にある妬み、恨み、憎しみ、汚れた思いなど、悪い思いをすべて含みます。罪を持ったまま、天国に入ることは不可能です。罪には必ず裁きがあるので、地獄が存在するのです。
しかし、今から2千年ほど前、神の子であるイエス・キリストはこの地上に来てくださり、わたしたちが死後に受けるべき罪のさばきを身代わりに受けてくださいました。それが、十字架の死なのです。そして、3日目によみがえりました。
キリストの十字架により、これを信じるものに罪からの救いが与えられ、キリストの復活により、信じる者はよみがえって天国に入ることになったのです。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」と、キリストはあなたを招いています。だれでもです。神様の愛に制限などありません。すべての人を愛し、すべての
人を招いています。あなた自身も招かれています。
人生という長いトンネルの向こうに天国が待っているとしたら、本当にすばらしいことだと思いませんか?どうか、聖書に耳を傾けてください。