エッセイ

エッセイ

最も恐ろしいもの

コロナ感染について思う①

 201911月、中国の武漢で1人のウィルス患者が発症して1年が過ぎました。まさかたった一人の感染者から全世界の人にまで感染が広がるとは、誰も考えていなかったことでしょう。この未知のウィルスについて警告をした医師がいましたが、その頃は誰も耳を傾けませんでした。今ではこの感染がどこまで増えるのか、いつまで続くのか見当もつきません。
私たちは日々の生活も当たり前のように過ごしていますが、この平凡な生活が崩れる危険性がどこにでもあるということを思い知らされたような気がします。最近のニュースでよく耳にする言葉の中に「医療崩壊」がありますが、医療の現場で働いていない人たちにとっては、他人事のように思えてしまいます。
でもこの医療の崩壊よりも、はるかに深刻なものがあります。それが人生の崩壊です。コロナウィルスは、人の命を奪うほど恐ろしいものすが、それ以上のことをもたらすものではありません。しかし死後において、恐ろしい裁きをもたらすものがあります。それが「罪」です。
日常生活の中で、この事はほとんど取り上げられることはありません。罪はこの社会の中で蔓延しているだけではなく、私たち一人一人の心の中に巣くうものであって、私たちは大変鈍くなっているのです。
この罪に関して、その裁きからの救いについて書かれているものこそが世界最古の本であり、世界のベストセラーである「聖書」です。私たち日本人にとってはなじみの薄い書物ですが、他の先進国において聖書はあたりまえに読まれている書物です。全世界において聖書が読まれ続けているのは、当然のことながら理由があります。面白いから読まれているのではありません。ここに救いが書かれており、神の愛と人生の指針が書かれているからです。だから人種を問わず時代を超え、すべての人々に読まれているのです。
 
「罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ人の手紙6章23節)
 
恐ろしいことが単刀直入に書かれていますが、それは深刻な事態を伝えるためです。しかし神様は、ひとり子のイエス・キリストをとおして救いを用意して下さいました。その救いの方法が、あなたもご存知のキリストの十字架による死です。この十字架の死のどこに救いがあるのかと疑問に思われることでしょう。しかしこれには訳があります。キリストの十字架による死は、私たち人間の罪の裁きを身代わりに受けたものであったのです。この身代わりこそが、罪の裁きからのがれる唯一の方法です。約2000年前にキリストは十字架にかかって死なれ、そして3日目によみがえりました。救いを受けるためにはたったひとつだけ条件があります。それはその事実を「信じる」ということです。
 
「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」(使徒の働き16章31節)
 
子供から大人まで、人は良いことをすれば天国に行けると考えていますが、それは罪の問題を抜きにしての都合の良い考え方に過ぎません。
当面の間は、コロナの問題が取りざたされると思いますが、はるかに深刻な罪の問題にぜひ目を向けてください。そしてイエス・キリストをとおして救いを受け取ってください。

コロナ感染に思う②

コロナによる感染拡大の中、どうしてもそれが他人事の様に思えてしまい、自分は大丈夫だと思っている方は多いと思います。高齢の方は感染すると重症化するリスクが高いと言われていますが、外食をしているとご高齢の方々も多く見られます。なんの根拠もないのですが、自分は大丈夫であると思いたいのです。
この世界に感染拡大をしているコロナウィルスですが、インフルエンザに比べて致死率は20倍ほど高いようです。通常日本では毎年1000万人ほどがインフルエンザに感染しています。日本の人口からすると10人に1人が感染している計算になります。そして毎年3000人ほどの人がインフルエンザで亡くなっています。日本のコロナウィルス感染による致死率は1.5%くらいのようですが、ウィルスによってはBSEや狂犬病の様に致死率100%という恐ろしいもの存在します。
世の中は今、コロナウィルスの話題一色ですが、私たちは実のところコロナに感染する、しないに関わらず必ず死にます。なぜ人は死ぬのかお考えになったことがあるでしょうか。寿命だから仕方がないと考えてしまう方が多いと思いますが、聖書の中にその理由が書かれてあります。
 
「罪から来る報酬は死です。」(ローマ人の手紙6章23節)
 
罪が死の原因であるのです。すぐに納得できないと思いますが、私たちの社会でも死刑は今でも行われています。それは犯罪に対しての最も重い刑罰です。罪よって死に至る、というのは当然の流れであるからです。聖書が語っている罪とは、私たちが想像する犯罪のことだけをいっているのではありません。私たちの心の中にある様々な悪い思い、憎しみ、妬み、恨み、怒り、不道徳な思いなど、実際に行動に移さなくてもそれは罪です。そして、私たちに命を与えられた創造者である唯一の神を無視して歩むことも罪です。
聖書を見るとき、罪は私たちの生活に満ち溢れていることがわかります。罪が深刻なのはそれだけではありません。病気やウィルスは私たちに死をもたらしても、それ以上のことはありません。しかし罪は違います。私たち人間に必ず死をもたらすだけでなく、罪には死後に裁きが待っています。その裁きは永遠の裁きなのです。
私たちは今生きている間のことだけを熱心に考えますが、罪の裁きからの救いを真剣に考える必要があるのです。私たち人間を創造された神様は、私たちの罪の裁きから救うため身代わりとなる方を備えてくださいました。それがイエス・キリストです。キリストは、神の愛するひとり子です。このお方が私たちの罪の裁きを身代わりに受けてくださいました。それが皆さんもご存知の十字架による死です。キリストは約2000年前、十字架の上で私たちの罪の身代わりに裁きを受けて死なれ、3日目によみがえりました。キリストは、あなたのために救いを用意して待っておられます。あなたがそれを受け取る(心に信じる)ならば救われますが、受け取らなければ救いはありません。
コロナによる様々な一時給付金が政府によってなされていますが、どれも面倒な手続きをしないと受け取ることができません。しかし、神様は私たちを愛し、救うために信じることだけで受け取ることができるようにしてくださいました。これは神様の恵みです。
残念なことですが、多くの方がこのことを無視して生活しています。世界中のどこをもってしてもこれほど素晴らしい贈り物はありません。各自治体がプレミアム商品券などを発行していますが、神様が与えてくださるものは、そのようなものとは訳が違います。ぜひ神様が与えてくださる救いを受け取ってくださるよう心からお勧めします。
 
「罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちです。」(ローマ人の手紙6章23節)