エッセイ

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生命の起源

最近「生命の起源」という言葉をよく耳にします。探査機から小惑星の砂を採取したとみられるカプセルが、無事に地球に届いたことによるものです。太陽系は約46億年前に原始太陽を取り囲んでいたガスや塵が集まって生まれた、と考える人たちがいますが、何ひとつ証拠がありません。気の遠くなるような時間があれば、何か出てくるかもしれないと考えているのかもしれません。どんなに時間をかけようとも、偶然にできたものはその後安定して続くことはなく、法則性もありません。しかし実際の宇宙には、しっかりとした法則性があります。星たちは秩序正しく軌道を一定の速さで周っています。この地球もたくさんの法則によって成り立っているので安定しているのです。生命についても、その一つ一つの器官はものすごく精密にできており、今の技術をもってしてもその一つさえ造ることはできません。
これらの事実は一体何をわたしたちに教えているのでしょうか?それは創造者なる神様の存在です。
 
「初めに神が天と地を創造した。」創世記1章1節
 
聖書はこの言葉をもって始まっています。神様が宇宙も地球もその中にある生き物も創造したのだと語られています。笑われる方もいるかもしれません。ですが、長い時間をかけてこれらのものが出来上がった、と考えることの方が実はおかしなことなのです。1軒の家を建てるのに、必要な材料を全てそろえて、野原に1000年の間置いておいたところで家が勝手に組み立てられることなどありえないのは、考えなくてもわかることです。たとえ物がすべて揃ったところで、創る人がいなければ何も出来上がらないのです。
聖書を見てください。聖書が私たちに語っていることは、いたってシンプルで的を得ています。1860年、今の同志社大学の創始者となった新島襄は、この聖書の最初の言葉を読んで神様を信じました。自然界に存在する日本古来のものを神として拝むのではなく、それらを造った創造者こそが本当の神であると知ったのです。私たち人間にとって、自分の創造者を知ることはとても大切なことです。もしも人間の生命の起源が、アミノ酸などが複雑に結合して始まったとするならば、偶然に生じた生命がどうして生きる目的や意味を見つけることができるでしょうか。そんなことは無理です。
神様は愛と目的をもって私たち人間を造られました。
 
「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」という日が近づく前に」伝道者の書12章1節
 
空想話はさておき、真実に目を向けることが大切です。私たちはどこから出発したのか。アミノ酸から出発したのか、神によって創造されたのかはっきりとしましょう。あなたが神様に目を向けるならば、おのずと人生の目的と意味が見えてきます。まずは神様の存在に目を向けることをお勧めいたします。