エッセイ

エッセイ

はじめに

物事には必ず初めがあるものです。入学式、入社式、初仕事などあげればきりがありません。自動車の教習所で初めて路上に出た時、ものすごく緊張したのを覚えています。私たちは普通に生活をしていますが、自分で分からないことはものすごく多いです。初めてのことというのは、何もかもが分からないことだらけで困惑してしまいます。
私は初めて「キリスト集会所」というところに行った時は中学生の頃でした。初めて聞く聖書の話はよく分かりませんでした。自分にとって聖書というのは外国の宗教の本であって、日本人には日本の宗教があるから自分には関係がないと思っていたのです。熱心なクラスメイトの付き合いで仕方なく顔を出していたのですが、何回か話を聞いている中で一つのことに気づきました。それは聖書に出てくる神様は、すべてのものを創造された唯一の神様であるということです。
私の実家は、子供の頃から年末にはもち米をふかして餅をつき、たくさんの鏡餅を作って各部屋や物置などにもお供えをしていました。子供ながらにトイレに鏡餅をお供えすることに、言い知れぬ違和感を持っていました。「便所に神様なんかいるのかな?便所紙ならあるけれど」と思っていました。
日本人は何でも拝みます。物を大切にするという点においては良いのかもしれませんが、助けにならないものに助けを求めても虚しいだけです。
山は山にすぎず、巨木は木にすぎず、岩は岩にすぎず、太陽は太陽にすぎません。
 
「初めに神が天と地を創造した。」創世記1章1節
 
聖書を開いて最初に書かれているのがこの言葉です。まずはここから始まるのだと思います。すべてのものを造られた神様がいる、ということです。
現在世界には196の国がありますが、国の数が多くあろうとも、この世界を造られた神様は唯一です。国の数だけ神様があると考えることの方がおかしなことです。まずはキリスト教という先入観をぬきにして、すべてのものを創造された神様について考えてみてはいかがでしょか。