エッセイ

エッセイ

贈り物

毎年、12月になると雪の降る北海道においては家の周りをイルミネーションで飾り付けをする方が少なくありません。
一面を雪で白く覆われた中での夜のイルミネーションはとてもきれいです。
また、12月は年末に向けていろいろと気ぜわしい季節でもありますが、クリスマスを楽しみにしている人は多いと思います。
クリスマスはプレゼントをもらう日であり、贈る日でもあります。もらう側にとっても送る側にとってもとても嬉しい日です。
クリスマスは今から2020年前、つまりこの年から西暦を引いた年が起源となります。カレンダーには西暦が書かれていますが、そもそも紀元前・紀元後というのは何を基準にしているのかというと、救い主イエス・キリストの誕生をもって区切られています。キリストがお生まれになる前を紀元前・お生まれになった後を紀元後といいます。
神の子イエス・キリストは天の神様からの贈り物として私たちに与えられました。クリスマスにプレゼントを渡すのは、その名残です。
 
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどり子を見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。   ルカによる福音書2章11-12節
 
これは聖書のことばですが、イエス・キリストは、救い主としてこの世にお生まれになりました。このお方は、天の神様から、地上の私たちすべての人間に与えられた贈り物です。
「飼葉おけに寝ておられる」と書いてありますから、キリストがお生まれになったのは、家畜小屋であったことがわかります。これには神様の深い愛が込められてあります。人種を問わず、人の地位や貧富の差も関係なく、善悪も問わず、どんな人でも来ることのできる場所、それが家畜小屋であったのです。事実、この家畜小屋に最初に来たのは、名もなき羊飼いたちでした。
どんな人でも、キリストのもとに行くことができます。そしてこのお方は、私たちの救い主です。私たちを罪から来る恐ろしいさばきから私たちを救い、信じる者たちに永遠のいのちを与えてくださるお方です。
プレゼントというのは、そもそもみかえりを求めるものではありません。愛する人に、心をこめて贈るものです。神様は、私たちひとりひとりを愛しています。そして、私たちに最も必要で、最も高価な贈り物を用意してくださいました。私たちに求められていることはただ一つ、喜んでそれを受け取るかどうかです。受け取りを拒否するでしょうか。無視するでしょうか。受け取った人は幸いです。罪の問題は解決され、永遠のいのちが与えられて天国に迎えられます。
人生には、様々な苦難があります。増々、生きていくのが大変な世の中になってきました。将来に希望を見出せないのは高齢の方に限らず、若い方々も同じです。世の中に物や情報はあふれていますが、心の中は貧しいです。
フランスの哲学者パスカルはこのように言っています。
 
“人の心の中には、神が作った空洞がある。その空洞は創造者である神以外のも有無のによっては埋めることができない。“
この空洞を埋めることができるのは神の愛だけです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」
                       ヨハネによる福音書3章16節
 
「世」とは、この世界に住む人間のことです。このところにご自分の名前を置きかえて読まれると意味がよくわかります。
天と地を創造された神様は、あなたを愛し、あなたのために、最もすばらしい贈り物を用意して待ち続けています。どうか、キリストを信じてこの贈り物を受け取り、幸せを得てください。