エッセイ

エッセイ

「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。
 たとい紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」

                     イザヤ書 18
 

ある日の朝、窓から外をみると、一面真っ白な雪げしきになっていたという経験を北国の人たちは毎年すると思います。
昨日の夕方まで畑の草が見えていたのに一面が真っ白です。道ばたに落ちていたごみや空き缶も、すべて雪に覆われて見えなくなります。
冒頭のことばは、聖書の中の一文です。
だれに対して言われているのでしょうか。これは、すべての人に対して言われている言葉です。
わたしたちは、普通に日常生活をしていて、自分の心のうちに罪があるということを自覚することはまずないと思います。罪とは、犯罪のことだけをさすのではありません。心の中にあるねたみ、恨み、悪い欲、高慢などもみな罪です。
仮にわたしたちが、これらの罪を自覚することができたとしても、これを抑え込むことは不可能です。しかし、これに対して、神様は救いの手を差し伸べてくださっているのです。それが書かれているのが聖書です。
皆さんも、一度は歯医者に行かれたことがあると思います。虫歯はほっておくと、自然に治ることがあるでしょうか。人間の身体には自己治癒力があって、ある程度のものであれば、自然に治るものも多くあります。しかし、虫歯は放置しておくとどんどん悪くなっていきます。罪もこれと同じで、放置しておくと最後に罪の精算が待っています。
たとえば、交通違反の場合、スピードの超過に応じて反則金が大きくなります。複数回違反すれば、さらに加算されていきます。罪の裁きも同じです。
人生の終わりに罪の精算が待っていますが、はたしてそれを払うことはできるのでしょうか。それは不可能です。
この罪による途方もない罰金を代わりに支払ってくださる方がいるとしたらどうでしょう。その方は、神のひとり子であるイエス・キリストです。
イエス・キリストは、今から2千年ほど前、わたしたち人間を愛し、わたしたちの罪の裁きを身代わりに受けるため、十字架にかかって死なれました。神の子であるお方が、わたしたちの罪の裁きを全部背負って十字架にかかり、身代わりに死なれたのです。そして3日目によみがえりました。
これにより、イエス・キリストを救い主であると信じる者は、罪を赦されるだけでなく、死後によみがえって、天国に迎え入れられます。これは、宗教の話ではなく、キリスト教の話でもありません。聖書にしるされてある事実なのです。
聖書は、わたしたちに対して、死後の裁きを警告していますが、これと同時に、イエス・キリストによる救いを教えています。どうか、イエス・キリストをとおして、救いと希望を受けとる方となってください。
尚、キリスト集会所は営利目的ではなく、聖書をとおしての救いを皆様に伝えることを目的としています。どなたでも、お気軽にお越しください。